ヒログ

ヒログ

青森県弘前市の大学生です。

理解不能。なんで見えるようにしないの?

 ありがとうございます。

 

 

◯気になること

 

「黒板見えないなら見えるようにしなよ」

 

今日のある講義で思った事です。

 

僕は教室の後ろから4番目くらいの席に座っていました。

そして、僕の席の後ろには、女子が2〜3人いたと思います。

今回は、この人たちに注目します。

 

この講義では、先生が黒板を使用するので、メモをする必要があります。

でも、先生の字はあまり綺麗とは言えません。

 

いつも通り講義が始まり、僕は話を聞きながら、メモを取っていました。

僕の視力は1.0くらい(一年前の結果なので、今は少し悪くなってるかも・・・)なので、

「後ろの席でも黒板が見えない問題」

が発生したことはありません。

 

しかし・・・

 

講義中、先ほど紹介した女子たちの小さな声が後ろから聞こえてきました。

「あれなんて書いてんの?」

「〇〇じゃない?」

「いや、△△でしょ?」

「てか、先生字汚くない?見えないんだけど」

 

この声が、僕の集中力を奪いました。

「え、なんで黒板が見えない席に座ってるの?」

って思いました。

 

「あ、これブログのネタにしよ」

とも一瞬で考え、今に至ります。

 

彼女たちは、自分の内側ではなく、外側に原因を設けていました。

つまり、問題は全て外側にあるのだ、という思考ですね。

自分で選んだ席に座っているくせに、

「見えない」「字が汚い」

って文句を言って、お嬢様かよって思いました。

なんでもやってもらうのが当たり前って考え方ともいえます。

いわゆる思考停止状態と言ってもいいでしょう。

甘やかされて育ったとも捉えることができちゃいます。

 

実は、他にもこの女子たちだけではなく、

「目を細めて黒板を見ている学生」

「身を乗り出して黒板を見つめる学生」

「結果的に見えなくて、挙げ句の果てに友人に聞いてしまう学生」

がいました。

 

さらに驚いたことに、この教室の一番前の席から、3番目くらいまでは学生が座っていません。

 

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こんな感じです。

 

これっておかしいと思いませんか?
「文句を行ってる暇あったら、移動しろよ」

って思いました。

こんなことで文句を言って、何になるのでしょうか?

 

まぁ、僕は後ろの席に座っていても困ったことはないので、僕は関係ありませんが。

むしろ、講義聞きながら他の学生を観察できるので楽しんでます。

 

要するに

自分の視力を理解した上で、黒板がストレスなく見える座席を決めるべきなのではないでしょうか?

 

「私は目が悪いし、黒板が見えないと困るから、前の席に座って授業受けよう」

と考えるのが健全だと思います。

なぜこのような思考が生まれないのでしょうか?

 

先生の字が汚いのは、別の問題です。

まず、自分で黒板が見える位置に移動してから、文句を言いましょう。

黒板に近づいても先生の字が見えないのは、先生に問題アリです。

 

このような学生を見ていると、わざわざ我慢して、ストレスをムダに溜めているようにも感じます。そりゃ、口から文句が放たれてもおかしくないですね。

相手が動くのを待つよりも、自分がさっさと先に動いた方がトクするよ、ってハナシでした。

 

次の講義から前方の席が埋まっていることを願って、締めさせていただきます。 

 

 

今日はこれで終わりです。

貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。