正解よりも最適解を
ありがとうございます。
「間違い」ってできればしたくないですよね。
間違えると、テンション下がるし、やる気なくなるし、怒られるかもしれないし、最悪な状況になるかもしれないし・・・
なので、できれば「正解」し続けていきたいはずです。
何一つ間違わずに、正しい答えだけを出し続ける。
理想の道といってもいいでしょう。
しかし・・・
正解とは100%のものです。(人によりますが・・・)
常に正解を求めるということは、常に100%を目指すことと同じではないかと思います。
これって、何だか疲れる気がします。
いつも正解を目指すことで、間違ってはいけないというプレッシャーやプライドがつきまとう。
いつもガチガチになってしまい、失敗が決して許させれない。
非常に息苦しいですね。
なので、僕は、最適解を目指すことも大事かなと思います。
最適解を目指すということは、一番正解に近い解を見出すこと。
100%じゃなくて90%、80%、70%でもいいということ。
大学のレポートに、絶対的な正解なんてないでしょう。
就職先についても、必ず正しいとは言えないでしょう。
鉛筆の持ち方だって、人それぞれ違うと思います。
野球でボールを投げるフォームもみんなバラバラです。
センター試験の現代文の選択問題とか、「最も適当なものを選びなさい」と書いてあるはずです。
(問題文と合致しているものを選ぶので、少し違うかもしれませんが・・・)
何もかもが正しいという保証は、あまりないのではないでしょうか。
自分で、
「これが一番いいかなぁ」
って考えて、一番納得できるものを選ぶことの方がラクな気がします。
別に100%の答えを出せなくてもいいと思います。
また、多数決をするとき、AかBのどちらか正しいと思う方に考えを寄せるはずです。
でも、視点を変えると、少ない方の意見を尊重する人にとっては、そちらの方が正しいと考えているはずです。
たまたま、数が多い方が最適解だったということです。
もしかしたら、どちらでもないCの方が正しかった可能性もあるかもしれません。
妥協の産物です。
いずれにしても、100%の正解ってそんなにないと考えた方がラクかもしれませんね。
かといって、初めから努力を怠るのはよくないと思います。
パーセンテージをどれだけあげられるか、という努力をしてなるべく正解に近い最適解を見出すことが大事かなと思います。
あ、試験の時は、正解を出さないと合格できないので別問題だと思います。
出題者が決めた正解と一致させないといけないので。
でも、記述式の試験は、自分がこうだと思う解答を作らないといけないですね。
全員が同じ解答を作ることはないでしょう。
正解って、一人で決めることはできないのかもしれないですね。
記事書きながら、頭が混乱していたので、ちゃんと伝わっているかわからないですが、要するに
「80%でも意外と大丈夫」
「100%ばかり目指すのはキツイ」
ということです。
今日はこれで終わりです。
貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。