気づいたら教育について考えてた
ありがとうございます。
◯気になること
「講義中の大学教授と学生のアウトプットの差、デカくない??」
「ラーニングピラミッド」というものをご存知でしょうか?
平均学習定着率をピラミッド型の図形にしたものです。
↑ またまた手書きです
図を見ればわかると思いますが、
「人に教えること」
が、知識の定着に最も効率的であると言えます。
逆に、講義をただ聞いているだけでは、講義内容の5%しか定着しないそうです。
アウトプットが大事だと一目でわかりますね。
↓ 詳しくはこちらのリンクから (こちらの図は英語で書かれています)
それで今回、
「講義中の教授と学生のアウトプットの差」
について考えました。
まず講義とは、教授がひたすら喋っている状況といえるでしょう。(全ての講義に当てはまるとは一概には言えませんが)
この状況は、
「教授が研究した内容を、教授自身の考えに基づきながら学生に向けて教えている」
と考えることができます。
要するに、教授にとって講義という時間は、
「自分の知識や考えを効率的に定着させ、最大化するためのもの」
といえるでしょう。
ラーニングピラミッドの一番下に当てはまりますね。
知識定着の環境としては最高の状態です。
しかし学生にとっては、ただ「講義を聞いている」状態なので、
「最も効率の悪い方法によって、知識の定着をさせている」
といえます。
ラーニングピラミッドの一番上に当たりますね。
講義という時間では、自然にこのような構造ができてしまいます。
講義中に喋ることも、ほぼ不可能です。
ここで、僕の考えですが、
「教授のアウトプットを増やすのもいいが、学生のアウトプットが増える環境を提供すべきではないか」
というものです。
そもそも講義というシステムはいつから定着したのでしょうか?
講義は学習に適していると考えた上で、このシステムを導入したのでしょうか?
学生の学習定着を最大化する環境が必要だと思います。
また、
「この構造、教育を提供する教育機関としてどうなの?」
って思いました。
近年では、「アクティブラーニング」という言葉が、教育業界で話題になっていると思います。
要は、「主体的な学習」です。
僕は、
「講義」という授業形態が存在する限り、学生は「アクティブラーニング」をするという機会を手に入れることができないと思います。
だって講義は最も効率が悪いんですから・・・
というか、国を挙げて「アクティブラーニング」を掲げていますよね。
でもこれって、
「アクティブラーニングを提唱している人間は、そもそもそのような教育を受けていないのでは?」
と考えることができると思います。
現代になって取り入れようとしているということは、昔の日本の教育には「アクティブラーニング」という概念がなかった、
という背景があるはず。
また、今になって「主体性」を求めるということは、現代の学生に「主体性」の資質が足りないという考えがあるでしょう。
よって、これまでの教育は「主体性」を欠いた「受動的」なものであったと考えられます。
つまり、
受動的な態度を取り払えば、主体性を手に入れることができる
というメカニズムの元で「アクティブラーニング」を提唱しているのではないでしょうか。
完全に「主体性」と「受動的」を二極化していますが、一つの考えとしてあり得ると思います。
でも、僕がここで思ったこと、
その「アクティブラーニング」を提唱している人って、逆に考えると「受動的な教育」を受けてきた人だよね。
ということです。
要は、説得力の問題です。
「アクティブラーニングの教育を受けたことないのに、そんなことできるのか」
って思います。
提唱した人はおそらく「受動的」な教育しか受けていないでしょう。
また、「アクティブラーニング」の概念を理解していれば、教育者は何かしらのアクションを起こすのが自然だと思います。
アクションを起こさないのは「主体性が欠けている」とも考えられます。
「受動的」な教育しか受けていないですからね。
国を挙げて提唱しているこの概念を無視して、授業形態を変えない教育者こそ、「アクティブラーニング」を受けるべきだと思います。
・・・話が大きくなってしまいました。
つまり、
「学生に対して最も効率の悪い知識定着の方法を提供するって、どうなの?」
「アクティブラーニングという考えが、その経験がない人によって提唱されているのって、なんかおかしいよね」
ってことが伝わればいいかなと思います。
今日はこれで終わりです。
貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。