ヒログ

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青森県弘前市の大学生です。

「えらいねぇ」

ありがとうございます。

 

 

〇気になること

 

「えらいねぇ」

って言葉にどういう意図があるんだろうか?

 

現在僕が住んでいる青森県弘前市では、4月21日から「弘前さくらまつり2018」が開催中です。

もう桜は散ってしまって、葉桜になってしまっているのですが、未だに観光客はたくさんいます。

 

以前のブログでも紹介したのですが、僕は先輩や友人、後輩たちとイベントの期間中、毎日ゴミ拾いをしています。今日もゴミ拾いしました。

詳しくはこちらから

ngyhrm.hateblo.jp

 

ゴミ拾いをしていて、

「えらいねぇ」

とよく人々に言われます。

今日はこの言葉に違和感を感じて、自分なりの結論が出たので、ちょっとお話ししたいと思います。

 

まず、こちら側の考えとしては、

「えらいねぇ」と言われたいがために、ゴミを拾っているわけではありません。

褒められるために、ゴミを拾っているわけではありません

21歳にもなって、「えらいねぇ」なんて言われても困ります。

子供扱いされている感じがします。

 

「えらいねぇ」という言葉、無責任だと思います。

我々、ゴミ拾いをしている身としては、

「他の人がやらないことを率先して取り組んでいる」

という自覚はあります。

毎年、公共のゴミ捨て場がものすごい山のようになっていますからね。

「これやばいよな」

って話をみんなとしていました。

 

・・・が、しかし。

見返りなんて全く求めてません。

見返りを求めるのはボランティアではないでしょう。

報酬を求めて、労働しているのとはワケが違います。

 

そこで気づいたのですが、

「えらいねぇ」という言葉の意図は、

「自分にはできないこと(その人の勝手な思い込み)をやる人がすごいから」

ということなのではないでしょうか?

 

そして、それを無責任だと感じるのは、

「じゃあ、私も何かやろう」

という考えが、その人から見られないからではないかということです。

要は「えらいねぇ」から、他人事のような印象を受けるからでしょう。

 

または、「えらいねぇ」という言葉を投げかけて、

「自分が彼らのためにできそうな仕事は可能な限りした」

「自分ができることはこれくらいで十分」

「自分ができることは、褒めてあげることぐらいだな」

といった思考があるのではないでしょうか?

 

こんなことをいちいち考えている人はいないと思いますが、僕はそう感じます。

 

・・・という僕自身も、これまでに何度も「えらいねぇ」って言ってきました。

でも、今日このことに気づいたので、これからは「えらいねぇ」っていうことはなくなると思います。

 

 

じゃあ、どのような言葉をかけるのが一番良いのか?

それは「感謝」です。

 

相手を「えらいねぇ」と褒める行為は、他人を「評価」する行為であり、

「縦の関係」を意識しているから生まれる行為です。

一方、「感謝」という行為は、

「横の関係」が築けているから生まれる行為です。

 

さらに言うと、

「他者に貢献できた」

という思いは、「評価」ではなく「感謝」から感じるそうです。

 

 

以下の本の、P200~をご覧いただけると、より詳しい情報が記されています。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

「評価」と「感謝」の違いがよく理解できると思います。

僕らはボランティアなので、「貢献」を目的としており、「評価」を目的としてはいません。

何かできることはないかと考えた結果です。

 

「えらいねぇ」という言葉を聞いて、色々なことに気づかされた日でした。

 

 

最後に、今回の記事で「えらいねぇ」という言葉、いくつ出てきたでしょうか?

特に意識してなかったのですが、たくさん使った気がしたので問題にしてみました。

 

  

今日はこれで終わりです。

貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。